「崩壊」 オラシオ・カステジャーノス モヤ

評価:
オラシオ・カステジャーノス モヤ
現代企画室
¥ 2,100
(2009-12)

個人的にどうしようもないことでも、
やはり個人的なものに落とし込んで何かしてしまうものなのだ。

そうするより他ないのだからね。

****

とても現代的な小説でありながら、同時に中南米のあの魔術的な血筋をしっかりと受け継いだ作品。

物語としてはすべて、未完のエピソードしかない。
人称も章ごとに統一されているものの変わっていき、
一つの筋を追おうとしてもつかみきれない。

ただ、それは物語の力を一番緊迫したところで
手放していくというむしろ積極的な技法ともとれる。
混沌とした2つの国に住み分かれた一族の話はこういう形でしか書けなかったのだろう。

捨て置かれたものがその人々の歴史を形作っている。

***ブクログ投稿記事

at 21:22, テツ, 鑑賞後レビュー

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お茶にごす

サンデーの「 お茶にごす」、次週で最終回らしい。
いさぎよい終わりを迎えるということで感動した。

卒業式が終わったあと、だらだらと続いてしまうのかと思ったが、よかった。
この作者が書きたかったものが今までの作品の流れの中から
いい部分を昇華して作られた傑作だと思う。

at 00:05, テツ, 鑑賞後レビュー

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言動には気をつけることだと政治家は言う。

 若干、後半になってくると
ユダヤ人というテーマからは寄り道してくる感じで
ブレを感じるし、エピソードの抜き方もまぁ、アレな感じだが
よく網羅的に書いてるんじゃないかと思いましたよ。

ナチス時代の「ユダヤ人問題の最終解決」で
600万人近い人が死んだというのは、今改めて思うと
確かにひどい、そしてどこか荒唐無稽ですらある。

「本日、私は再び予言者になろう。ヨーロッパの内外で、国際金融にたずさわるユダヤ人たちが各国国民をもう一度、世界戦争に駆り立てるのに成功したとしても、その結果もたらされるのは、世界のボルシェヴィキ化ではないだろう。もたらされる現実は、ユダヤ人の勝利である。しかし、そうでない場合には、ヨーロッパのユダヤ民族を絶滅させることだ」

ヒトラーが行なった演説の抜粋らしいんだが、
確かに「絶滅」という過激な言葉を使っているものの、
はっきりいって具体的でなく、抽象的だ。
これがすぐさま現実になるとはあまり思えない。

しかし、抽象的ではあっても、曖昧ではない。
そういった形で曖昧に賛成した民衆を渦に巻き込んでいくのが
政治家という生き物なのではないかと思う。

衆院選は夏を過ぎた頃だろうかな。
とりあえず、二大政党を作ろうという志をまずは支持しているので、
民主党に勝ってほしいけど、問題はそこから先だったりする。
(自民党内部に派閥が多いのは色々理由があるだろうが、一番は
政策を自民党内部で議論するという形になるからで、過半数をしめた
与党の過半数が支持すれば政策に反映されるというのはイカサマ民主主義と思うのだ。)
自民党も馬鹿ばかりでないだろうし、お互い僕の住む国の人たちなので
がんばっていただきたい。

え、ダイヤモンド?
おいしいんですか、それ。

at 11:02, テツ, 鑑賞後レビュー

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劇場の神様について:あとがき

評価:
原田 宗典
新潮社
¥ 420
(2007-07)

んで、読み終えたんだが、
最後まできちっとよく書けてた。

特に劇場の神様に関しては演技のフィクションと
演技が行なわれているというファクトとが絶妙に
絡ませられていて、かなり読ませる。

まぁ、これだけなら、前の記事で褒めてるから
特に書かないんだが、どうにもこうにも、
解説の島本理生がいかん。

単なるファンじゃないか。
それは、伏線ではないし、技巧でもないぜ。
まぁ、観察がポイントなのはそうだろうけどね。

それにしてもハラダムネノリが職人肌の小説書きになるとは思わなかった。
そんな一冊。

at 13:39, テツ, 鑑賞後レビュー

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仕方のないこと

 最近、生命保険のチラシが気になる青春まっただなかのテツ(28)です。
こんにちわ。

これは、年をとったのもあるけど、
はっきりいって、昔より裕福になったということだと思う。
保険にかけるだけのお金なんて捻出できなかったものなぁ。

本当の金持ちはでも体には直接投資でカバーして、
備えには資産を直接あてることになるだろうし、
保険という保険は資産に対してあてるのだろうな。

世界的に見て、裕福な国の生まれである僕は
ワーキングプアと呼ばれる程度の収入であっても、
まだ、水準はきっちりあるものだと思う。

50代以降を生きるためには
一定水準の経済状況じゃないとおそらく許されないのだ。
WHOの統計によると
http://memorva.jp/ranking/unfpa/who_2006_life_expectancy.php
アフリカ諸国だけがくっと平均寿命が落ちる。
内戦とかそんなのもあるのかな。

この恵まれた状況には感謝をしなければならんと思いつつ、
恵まれない人々をどうしようという風には思わない。
単純にあらゆる意味で遠い。
僕の家のドアを叩くことがあれば、何かを渡すこともできるかもしれないが、
それ以上ではありえない。

遠くで誰かが首を吊っても、仕方のないことだ。

そうわざわざ書かなければならない時代でもある。
これは無視しているのではない。ただただ、仕方のないこと。

夢の島という名のゴミ廃棄場がニュースになったのは今は昔。
http://ja.wikipedia.org/wiki/夢の島#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
wikiで見たら、今も新しい夢の島が出来ている、らしい。

現実でないどこかで責任が打ち捨てられる、ということはない。
仕方のないこと、と言いながらも夢枕に立たれることも仕方のないことだろう。

原田宗典『劇場の神様』収録「ただの一夜」を読んだ後、
現在のごくありふれた夢を思い起こす。
(彼、小説うまくなったね。)
評価:
原田 宗典
新潮社
¥ 420
(2007-07)

at 13:12, テツ, 鑑賞後レビュー

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天使と悪魔

 映画を久しぶりに見たわけだ。

なんか、宣伝の力のいれようから考えると、どうにもまぁ、物足りん。

伏線というものを考えている。
何かの行動ができる余地を用意しておくことを伏線と呼ぶこともままあるのだが、
それは単なる言い訳であり、あらかじめの説明だろう。

物語は後の行動の状況証拠を追体験するものではない。
それなら、裁判記録はもっとスリリングで楽しく読めるものだろう。

では、求められるべき伏線とはなんだろうか。
たとえば余地を残すのではなく、後の行動に限定をしいるようなものも
ドラマにおいては重要かもしれない。

物語にあって、ただの追体験にないものは不確定な未来だ。
スクリプトがあったとしても、物語には行動の選択がある。
複数の選択肢が鑑賞者に提示されながら、物語は進む。
選択をすることで、そこに感慨の入り込む余地がある。

その選択肢の幅を急に広げたり狭めたりするギミックが
伏線ということなら、単なる言い訳というのは
もともと選択肢の豊富な地平の中で、さらに選択肢を与えるということだろう。

そんなわけで、物語は肝心なところで弛緩していると感じた。
バチカンの教会は一度行ってみたいなぁとは思ったので、
それで満足したことにする。

at 22:32, テツ, 鑑賞後レビュー

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わたしを離さないで


評価:
カズオ・イシグロ
早川書房
¥ 800
(2008-08-22)
 僕はよく本を買っては積んで
本棚や机の上の飾りとして使っているわけで、
これもそのうちの一冊だった。

そろそろかなと思って休みの日に開いたら
一日で珍しく読み切ってしまった。

なんというか、巧みに狡い書き方でね。
秘密が非常にクローズアップされて眼の前にあるのに
全体像が見えず、目に見えているものの意味も分からなくて、気になるみたいな。

そういう仕掛けだから
ある種の謎を追うようなスリルがあるのだけれど
まぁ、ことの中心はそれではないだろう。
あくまで読んでもらうための仕組みとしてあるだけでね。

物語のタネとしては臓器移植のために
クローン生成された子供たちの感情の揺れ動きであるのは確かなんだけれど
おそらく、核心はそういった未来への警鐘ですらない。
(もちろん、多分に人道的問題として考えるステップになる)

そうではなくて、見えないもの(たとえば魂)をいかにして信じるか
ということについて書かれた話であって
それを際立たせるために、こういった筋書きになったと考えるほうがいい。

魂というとおおげさだけれど、
口にされなかった言葉を、それでもその人の表情を頼りに信じて
それに安堵したり、憤ったりする。
こんなのは日常的にありふれている。

逆に行動に示されたもの、口にされたものがあったとして
上のように僕らが考えてしまうことがある以上、
どうにもならないことがある。
「死にたい」と誰かが言って、「死ぬんじゃない」と言うことはできても
それを根拠のない言葉だと言われたらどうしようもない。

もうひとつ、気になる話がある。
ノーフォークというのがイギリスの
「ロストコーナー」(忘却の地)として授業で紹介されて
それが「遺失物置き場」という意味合いで
「ペンをなくしたって?ノーフォークにあるんじゃない」ってな
ジョークのネタになってるという挿話がある。

これは話の中で補助線にあたる筋書きで
そこに主人公は親友のコピー元「親」を探しに行く。
(というか「親」である可能性の高い「ポシブル」と控えめに呼ばれる)

「遺失物」というカテゴリーで
自分のアイデンティティが探されているかのような話だ。
(もっともそんなあからさまには示されてないけれど)
案の定これは失敗する。
代わりに、ずっと昔になくしていたテープが見つかる。
その歌詞が表題の「わたしを離さないで」だ。

この言葉は直接的であるものの叙述ではなく、
懇願であり、祈りだ。
遺失物置き場にアイデンティティではなく、祈りが落ちていた。

あらかじめの自己証明などはなく、
手にすることができるのはそんな頼りないもの。

気になる挿話といえば、戦争時のとある収容所で
電流の流された柵があると聞かされた子供たちの言葉。
「そんな風に柵に張り付くだけで自殺できるところで生活するなんてどんな気分だろうな」
そんなような言葉だった。

死ぬことが使命であるような彼らという特殊な事情を抜いても
さて、それでもあえて生きることに意味があるのかと考える。
からっぽで裏切られやすい言葉だとしても、
ただただ死に急ぐのはやめてほしい。

誰かが生きることの証明というのは
その人が願いながら生きていくことの中にしかないのだから。
たとえ、悲喜劇のような形であれ、「わたしを離さないで」と願いながら。

at 23:11, テツ, 鑑賞後レビュー

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赤い長靴


評価:
江國 香織
文藝春秋
¥ 500
(2008-03-07)
 帰省する日、頭がちょっと痛くて
本当だったら自分の部屋から本を持っていくところを
部屋に寄らずに途中の本屋で見つくろってそのまま帰ることにした。
それのうちの一冊がこれ。

江國は力のある作家であることは分かっているが
流行作家といまだに思っているところもあって
普段は恥ずかしくてあまり買えない。
そう頭痛のせいだ。

無口な男と饒舌な女の生活の話。
一言で言うならそうなる。

出来事としてドラマらしいことは特に起こらない。
あえて言うなら妻の勤めているお店のお得意様である
老婆が死んでしまったことがニュースとして起こるくらいだ。

こんなことはもちろん彼らの生活に直接影響を及ぼさない。
だけれども、そういったひとつひとつの細かな出来事が
二人には全く共有できない。

共有できないことが妻にとっては苛立ちでもあるが、
そうやってある点では超然としていることが
妻の防波堤になっているような、安心感と支えを与えているような。
苛立と幸福が一緒になったまま生活していく。
痛みが、悲しみが二人の絆であるようなそんな生活。

ただ、この断絶はこの二人の間だけにあるのではなくて
もしかすると読者とこの小説世界の間にあって、
そのモデルをそのまま適用するなら、
僕らも泣き笑いしながらこの物語を読むことになるだろうと思う。

それにしても、僕とこの夫の共通点が多くて
個人的には苦笑いだったりもするんだが。
まったく頭が痛い。

at 07:12, テツ, 鑑賞後レビュー

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戦い続けるということ


評価:
アレッサンドロ バリッコ
白水社
¥ 2,100
(2006-01)
 人が次々と倒れていく。
神の血を引くものも、そうでないものも次々と死んでいく。

凄惨さを感じさせる間もなく、
ということはそれぞれの死について感傷に浸る間もなく、
次々と死んでいく。

個々の死について考える暇もないということが、
行き場のない悲しみとして、沈潜していく。
普段は気にしないものの、時として匂ってくるドブのようなところに何かたまっている。

川にヘドロが積もれば流れを弱めるように
メランコリックな気分によって
物語が展開としてのダイナミズムを実は失いながらも
進んでいくのは、神の存在によるところが大きいと思う。
(もちろん、今、そんなメシアは存在しない)

(ティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」は神が存在しない戦争のひとつのあらわれかた/語られ方を示しているが、それは非常に個人的な過去と未来をつなぎあわせてなんとかその穴について語ろうとする試みだと思う)

見過ごされたものたちは確実に存在している。
見なければ、そこにないのと同じということは、やはりあり得ない。
(それは戦争の中にしかないことではないだろう。)

(「過視化する世界」というワードを東浩紀はマンガの文脈の中から取りあげている。
彼は第一に欲望から起こったものとも言うが、
それは見えないもの、見過ごしてきたものへの恐れもやはりそれに加担しているだろう。)

死体は互いの陣営によって引きずり回される。
そのために戦闘が中断されもする。
しかし、物語は終わらない。
生き残りたちは、そのヘドロの積もった沼の中で延々と戦う。

悲しくはなく、むしろ雄々しく戦うのだが、
それだけに業の深さを思う。

at 10:06, テツ, 鑑賞後レビュー

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